江蘇省無錫市観光局の王潔平局長は挨拶で次のように述べた。
1986年、無錫市の観光業界は国際市場への参入を政策決定し、まず隣国の日本からの観光客誘致を考えた。日本の観光業界の援助により、作詞家・作曲家を無錫の民謡に触れる旅に招待した。日本の著名な作詞家中山大三郎氏なども5日間無錫を訪れ、美しい風景をくまなく見てまわった。中山氏は帰国後10日も経ずに、「無錫旅情」、「清明橋」の2曲を作り上げた。「無錫旅情」はたちまちヒットし、同年の日本レコード大賞を受賞、年末の紅白歌合戦でも歌われ、瞬く間に無錫のことが知られるようになった。1980年代後半から、無錫への日本人観光客は大幅に上昇し、近年では毎年10万人と安定した観光客数になっている。「無錫旅情」が世に出て20年、無錫を訪れる日本人観光客は200万人を超えた。
無錫市の貢培興常務副市長は、「1990年代初め、国際資本の中国の長江デルタ地域への移転が加速し、無錫市は江蘇省の日本資本の集中するところとなった。2006年10月、同市で投資を行う日本企業は1081社、総投資額は78億ドルとなり、日本は同市にとって最大の貿易相手国および輸入元国となった」と述べた。
15日の交流イベントでは、多くの日本企業・日本人が表彰を受けた。表彰されたのは、最初に無錫市に投資した日本企業10社、最も熱心に公益事業を行っている日本企業10社、同市の「名誉市民」に選ばれている日本人8人、同市の花「アザレア」賞を受賞した日本人20人。同市代表団はさらに大阪と横浜で交流事業を行う予定だ。(編集YS)
「人民網日本語版」2007年1月16日
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