中国民族音楽の旅:続・阿炳の巻

出所:来自网络 作者:admin 2007-12-18 クリック:


 まあそんな言葉は省みられないのが現代中国だろうが、いずれにしても無錫の中心的な繁華街にあるだけにいずれは再開発される運命にあったのだろう。大通りからすぐに広場に連なっており、後方にあった城中公園も周囲を取り巻いていた壁が撤去され、この広場と一体化することになった。

 広場の正面中央には阿炳の像がある。錫恵公園の像とは違ってこちらは石に腰掛け二胡を弾く姿になっている。像の周りは水場で、噴水も出るようになっている。そしてその像の左側、広場正面から見れば右側に二泉映月の楽譜のレリーフが作られている。それも巨大な楽譜だ。


二泉映月広場の阿炳の像

巨大な二泉映月の楽譜

  その巨大な楽譜が立てられている奥が阿炳故居のある区域だ。つまり阿炳故居に行くまでにまずは阿炳に会ったかのような雰囲気を味わおうというわけかもしれない。かつての、ということは同じような建物がこの辺にあったということだが、旧市街区の中にそこに住む住民とともに生活が営まれていたという雰囲気は全くなくなっている。

 郊外から出てきたのだろうか男女4人組の若者が阿炳の像を珍しそうに見ている。彼らはどう見ても音楽を行なっているようには見えないのだがと思っていると、何と1人の男がすたっすたっと阿炳の像に上るではないか。そして他の3人に向かってポーズをとる。写真を撮ろうというのだ。

 彼らにとっては賑っている場所での遊びの一つなのだろう。阿炳がどんな人間かは関係ない。どこの“観光地”でも見られるポーズつくり。結局広場を作るということはそういうことなのだ。

 阿炳はことのほか街での市民との出会いを楽しんでいた。朝近所のおっちゃんやおばちゃんから聴いた市政のニュースやうわさなどを元に、昼過ぎにはここ崇安寺付近の路上で二胡や琵琶の演奏で風刺の唱としてみんなに披露していた。そんな彼にとって相手が音楽に興味があるかないかは関係なく仲間であったはず。ならば像の上に上ろうがなんとも思わないだろう。

5、聴松から阿炳故居へ(07年3月29日)
 天下第二泉をあとにしてぶらぶらと公園内を歩く。阿炳自身は自ら育ったところ、つまり雷尊殿を中心として活動していたはずだからその行動範囲は無錫市内の中心部にあたるため、錫恵公園(もちろん今の形での公園ではないが)には余り来なかったと考えていいだろう。

 だから公園内をぶらぶら歩いているだけでは阿炳を偲べない。とはいうものの阿炳ゆかりの文物はある。その一つが聴松石だ。聴松石についての解釈はこのホームページの「阿炳の巻⑧」で書いてあるのでここでは省略するが、彼が残した曲のイメージはこの石を見て伝わる。というよりは、うむこんな石ならやはり一度寝っころがってみたいなあと思う物だ。

 気候のいい日に寝ころがり、阿炳の弾く聴松をバックに流し、人とその歴史についてじっと考える、などということはやはりできないあ。実際の聴松石は鉄柵に囲まれて触ることも厳禁であるからだ。ここにもほとんど観光客は来ない。しかし残念がる必要はない。そこにあることが大切なのだから。


聴松石

 公園をぶらぶらしているのは本当に気持ちがいいのだが、今回は日帰りだけに余りゆっくりともしていられない。公園を出てタクシーで阿炳故居を目指す。阿炳故居は図書館路にある元の雷尊殿があったあたりである。図書館路は無錫の本当の中心地にある。

 この地域(つまり旧市街地区)は地図で見てもわかるが、今は解放路と名づけられた道路が楕円形に走り、その真ん中を東西南北に幹線道路が走っている(東西が人民路、南北が中山路)。道路名をみてもいかにも繁華街だということがわかる。銀行やホテル、ショッピンクセンターなどはこの区域にある。

 阿炳故居はこの中山路と人民路の交差点から東に少し入ったところにある。そうそう以前は確か人民路から細い道をちょっと北に上って右に折れたところだ、と思って交差点を渡ってみると、あららだだっぴろい空間が広がっているではないか。

 なんとかつて存在していた食堂や昔ながらの民家がすべて撤去され広場となっているではないか。その名も「二泉映月広場」!
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