中国民族音楽の旅:続・阿炳の巻

出所:来自网络 作者:admin 2007-12-18 クリック:


 無錫滞在中に無錫文化叢書という8巻の本を買ったが、その中の一つに無錫民楽という巻があった。文字通り無錫における民楽関係者の話題や歴史が書かれた本だが、そのなかに「阿炳其人其事」という文章があった。

 阿炳の小さいころからどのようにして音楽に親しみ、名手となっていったのかを、無錫の道教寺院の紹介、父親の華清和の話題なども入れて語っているものだ。その中には阿炳が華清和のあとを受けて雷尊殿一和山房の主宰道士としてよく催しをおこなった、ことなども書かれている。


人々が集まる城中公園。阿炳もかつてここで弾いていた

 しかし面白いのは阿炳の父親は誰?というセンテンスで、楊蔭瀏らが1952年に編集した「瞎子阿炳曲集(盲目の阿炳曲集)」の中で楊蔭瀏は、「阿炳の父母は早くに亡くなり、父がどういう名だったのかも知らず、小さい時に華清和の子として引き取られた」と書いていたという部分がある。

 そのあとに続いて1979年に出版された文化部文学芸術研究院音楽研究所編集「阿炳曲集」では、楊蔭瀏は記述を補充修正して「阿炳は確かに華清和の1人息子で・・・」と書いているとある。これを見るとかつては阿炳の出生についてもいろいろ話があったのだ。

 文化部(日本で言えば文部省みたいなもの)での出版物にはやはり正当性が重んじられるから記述を修正したのか、あるいはこと細かに再調査をして判明したのか、実際のところはわからない。しかしいろいろあってもいいではないか。阿炳がアヘンにはまり花街通いをしていたことは余り語られないが、盲目に至る過程にはその破天荒な生活が影響を及ぼしたのは確実である。

 程よい立派な人生を歩んだと書かれるより、いろいろな失敗をしたことがきちんと伝わるほうが、庶民と語る街頭芸人として後半生を送った阿炳にはふさわしいのではないのか。阿炳に親しみを覚える人はやはりそれぞれの阿炳像を持っていくのが一番いいだろう。
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8、阿炳へのそれぞれの思い(07年4月23日)
 さて阿炳故居の修理情況も見たし、二泉映月広場(その様相への賛否は別にして)も散策したし、これで所期の目的は達したと思っていると、そこへ中年のおじさんがとことことやって来た。帽子をかぶりジャンバーを着たおじさんはなんと二胡を持っているではないか。
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