中国民族音楽の旅:続・阿炳の巻
出所:来自网络 作者:admin 2007-12-18 クリック:
お礼をもらえば額にはこだわらず、特に大げさに感謝はしないしまた少ないからといって争うこともなく、呼ばれれば喜んで出かけていった。阿炳が街に出なくなったのは1948年ころ。「ある日いくつかの嫌な目に会い、夜には鼠が胡琴の弓を食いちぎり胴部分の蛇皮にも穴をあけてしまった。之は不吉の前兆だとしてそれ以来演奏することをやめてしまった」。
1950年夏、陽蔭瀏と曹安和の依頼で後世に残る録音をすることになるが、そのとき使った胡琴は中華楽器店で借りてきたもので、この胡琴(竹筒胡琴)は使用したのち中華楽器店に戻されたと言われるがその後の行方はわからない。琵琶は曹安和が当時学生だった中央音楽学院琵琶教授の陳澤民に送り、陳澤民は阿炳故居に寄贈することを提案し、2005年6月無錫市で寄贈式典が開かれ、阿炳が《大浪淘沙》など3曲を弾いた琵琶は無事故居に戻った。
阿炳の生涯について書かれた「阿炳、その人と足跡」では、最後に阿炳の曲(例えば二泉映月)は世界中の交響楽団などでも演奏され、中国と世界の人民の友好をつなぐものとなったとしているが、何度も言うように阿炳にとってそんな大層な賛辞はいらないだろう。身近な人々の前で喜怒哀楽の感情を表現することができることが何よりの喜びだったとするのは、逆にちょっとかっこいい言い方になるのだろうか。
(この項終了)
| 10、阿炳の伝記から①(07年6月20日) |
| 阿炳故居と記念館が新たな形で開放されるなど無錫では阿炳関係の催しがより多く行なわれるようになった。それにつれて彼に関わる出版物も増えてきた。ここ10年来の中国での出版は異常な速さで増加しており、小説などの出版以外にこれまで手に入らなかった資料が出されるなど、国民の知識欲・読書欲を満たすことができるようになった。 阿炳に関する資料もその一つである。考えてみればいま60代や70代の人は1930年から40年代に生まれた人であるから、ちょうど阿炳が無錫の街頭で芸をしていたのを少年時代に見たことのある人もいるはずだ。とするとその記憶をできるだけ多く引き出すことが出来れば、阿炳の当時の生活や姿も実際に近い形で残していくことができるはずだ。さらに彼らの親から聞いた貴重な伝聞や資料が出てくるかもしれない。 できるだけ多くの研究家や編集者が阿炳に興味を持てもらうしかないわけだが、1~9の「阿炳の旅」の中で紹介した「無錫文化叢書・無錫民楽」の巻「阿炳、その人と足跡」に書かれた内容についてもう少し紹介しよう。
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